みなさん、はじめまして!!
埼玉県でGKコーチとして活動しております『曽羅大輝(そらだいき)』です。
今回は、私がGKコーチを始めるきっかけやこれまでのエピソードについて書いていこうと思います。
GK人生のスタート
私がGKとしてスタートしたのは小学4年生の頃です。
学校の友達に誘われて始めたサッカーでしたが、なぜか最初から守る事が好きでした。
そしてある日の練習で、コーチから「キーパーやってみない??」と一言。
これがきっかけで本格的に始めることになりました。
当時いた少年団には恵まれていたことに「GKコーチ」がおり、基礎基本を教わる事ができました。
その甲斐あって、小学6年生になった頃には「埼玉県北足立南部地区トレセン」に選ばれることが出来ました。
今思うと、小学4年生からGKを始めGKコーチがいた環境には感謝しかありません!!
中学時代
中学生では、地元のクラブチーム「フォルチFC」に入団しました。
少年団で長い距離を走ったり、筋トレ・体幹などを行っていなかったので最初はめちゃくちゃキツかったです(笑)
本気で上を目指すことへの覚悟の重要性を知りました。
そして、ここでもGKコーチがいました。
毎回のトレーニングは、とにかくきつい。辛い。
連続的な動きやフィジカル要素が多く取り込まれたメニューばかりでした。
メンタリティ・勝負強さ・フィジカルの強化などなど、GKとして必要なモノは少しずつ備えられてきました。
しかし、肝心な「技術・戦術」はというと、正直細かく教わった記憶がありません。(笑)
中学2年の終わりから、腰の怪我をしてしまい、8ヶ月ほど練習・試合に絡めない日々が続きました。
そんな状況でも、出場した試合を見て評価して頂いた、西武台高校へ進学を決めました。
西武台高校へ!!
西武台高校へ入学し最初に感じたことは、圧倒的な基礎技術の差です。
私と同期で入学したGKに「浦和レッズJr.ユース」からきた選手がいました。
共にトレーニングを行う中で、正面キャッチの質・シュートストップの安定感・クロスボールへの適切な判断など、全ての状況においてレベルが違うと感じました。
その差を埋めるべく、毎朝6時半から自主練を行い、練習後は22時過ぎまで自主練を行いました。
結果、夏までにはトップチームにも絡む事ができ、冬には新人戦のメンバーにまで入る事ができました。
その後は、怪我の再発や新たな怪我によって思うようにプレーできず高校年代を終了しました。
GKコーチになりたい
大学生になる頃には、本格的にGKコーチになりたい!!と考えていました。
なぜ、GKコーチを目指したくなったのか。
私の場合は、小・中・高・大と全てのカテゴリーにおいて、GKコーチと出会う事ができました。
今思えばこれだけでも十分恵まれていたと思います。
しかし、高校の時に感じた「技術の壁」
これを壊すには、育成年代での「技術・戦術」が最も必要なのだと感じました。
ただ、きつい。辛い。を繰り返すだけでは、ダメなのだと気付きました。
GKを専門的に学ぶには、早ければ早い方がいい。
GK不足の小学生・中学生にも指導できる環境を作りたい!!と思い、「グランツGKスクール」を開校しました。
「替えの効かないGKコーチになる」
この言葉を胸に掲げ、目の前にいるGKを全力で変えよう!!
同じ悩みを持っている選手を助けてあげたい!!
そう思いながらGKコーチ人生をスタートしました。